武富士の現在は?創業~倒産その後まとめ、過払い金の落とし穴
更新日:
公開日:2019.3.25
消費者金融業が最も勢いづいていた時代、その象徴と呼べるのが武富士でした。
CMで話題になると時代の後押しもありシェアを拡大していき、消費者金融業界のトップに上り詰めた大企業ですが、2010年には会社更生法を申請し、2017年には事実上の消滅となったのはあまり知られていません。
今回はそんな武富士が、いかにして消費者金融業界のトップにまで上り、どうして転落したのか…。
歴史や経営陣についての解説を交えつつ、いまだに残る武富士の過払い金問題にも迫っていきますので、ぜひ最後までご覧ください。
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この記事はこんな人にオススメ!
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この記事の目次
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武富士は倒産したが現在も創業者一族の資産は残っている
創業者一族が蓄えた資産はいまだに残っています。創業者の妻である武井博子は会社更生法が適用されてから大分時間が経っているというのに、フォーブス誌の日本長者番付にランクインしています。
資産を保有している理由はグレーゾーン金利のおかげ?
2018年のランキングでは、1890億円保有しており27位に位置付けています。武井博子がこれだけの資産を今でも保有していられるのには、グレーゾーン金利が理由として挙げられます。
武富士が活気づいていた頃、日本には貸金に関する法律が2種類ありました。出資法と利息制限法はそれぞれ上限金利が違っており、ほとんどの金融業者が利息の高い利息制限法を採用していました。当時の利息制限法だと、お金を貸す時は金額に関係なく年率29.2%と高額な利子となっており、出資法の上限金利との差をグレーゾーン金利と呼んでいます。
多くの人が利用した武富士だけに、金利も相当な額となり稼いでいたと推測できます。実際、店長クラスになると年収800万が支払われていた事を考えると、創業者一族が手にした金額は膨大となっているはずです。
武富士とはどんな会社だったのか
それでは、業界最大手と呼ばれた武富士がどんな会社だったのか、当時の消費者金融業界について触れつつ紹介していきましょう。
1990年代の消費者金融業界の最大手
1990年代の消費者金融業界は、業界全体が活気づいていました。
90年代初頭にバブルが崩壊し、企業のみならず消費者家庭にまで不況の波が押し寄せます。
すると多くの人が消費者金融を頼るようになり、さらに自動契約機の登場が拍車をかけました。
現在では当たり前になりつつある、スピード審査や即日融資はこの頃に登場し、借りることへのハードルが下がりました。
90年代以前にあったサラ金や街金のイメージが変わり、女性でも安心して借りられる環境だったことも大きいです。
2000年には貸金業に登録している業者の数は約3万と、現在の15倍以上業者が存在していました。
その中で武富士は、消費者金融業界の最大手に君臨していたのです。
ダンスCMで一気に知名度アップ
武富士の名前を一躍有名にさせたのが「武富士ダンサーズ」と呼ばれるCMです。レオタード姿の女性たちが激しいダンスを踊る内容で、インパクトは大きかったです。
それまでは深夜の時間帯にしか放送できなかった消費者金融のCMが、95年になるとゴールデンタイムで放送できるようになり、各会社はオリジナルのCMを展開し始めたのです。
その中でも武富士は印象的で、CMを覚えている人は少なくないでしょう。
初代武富士ダンサーズとして活躍していた大西裕貴子さんによると、当初の予定ではジャケットとハット姿のダンスCMでしたが撮影終了間際に、当時の社長がリクエストしたレオタードのダンスが採用されたということです。
社長の思いつきかもしれませんが、CMの効果を考えると正しい判断だったのかもしれません。
動画はこちら▼▼
実は典型的なブラック企業?
明るく華やかな印象ですが、実は武富士の内情は今でいう「ブラック企業」だった可能性が高いのです。
下記に勤めていた人の体験談をまとめましたので、ご覧ください。
務めていた人の体験談
「厳しい回収ノルマが設定されていて、上司からは回収できないなら自分で立て替えろと命令されたり、暴力を振るわれていた」
「湯呑を投げつけられたり、ノルマを達成できなければ上司に囲まれて、何時間も立たされていた。どの支店でも似たようなことが行われていた」
「出退勤時には社長の写真に挨拶して、昇給などの節目の時には会長と社長にお礼の手紙を出さなくちゃいけない」
「ワンマン経営のパワハラが酷かったが、その分働けば給料は上がっていた。高卒で入社したのが21歳で店長になって、年収800万とか1500万を手にできる環境だった」
武富士の沿革
消費者金融業界が最も活気づいていた時代、ブラック企業ながらも稼げる会社として武富士は人気でした。武富士がいかにしてその地位を築いたのか、まとめてみましたのでご覧ください。
激動の時代を駆け抜けた企業
年 | 月日 | 内容 |
---|---|---|
1966年(昭和41年) | 1月 | 個人事業「富士商事」を東京都板橋区蓮根にて創業 |
1968年(昭和43年) | 6月 | 「有限会社武富士商事」設立 |
1974年(昭和49年) | 12月 | 「株式会社武富士」に改組 |
1998年(平成10年) | 12月 | 東京証券取引所第1部に上場 |
2000年(平成12年) | 3月 | ロンドン証券取引所上場 |
2009年(平成21年) | 12月 | 資金繰り悪化により貸し付けがほとんど停止し、資金調達を急いでいると報じられる |
2010年(平成22年) | 2月 | 開示された2009年12月期四半期決算短信から、資金調達の困難等により、継続企業の前提に関する重要事象等の注記がなされている。 |
2010年(平成22年) | 9月28日 | 前日とは一転して、午後に行われた取締役会で会社更生手続きを行う事を決定。同日に東京地方裁判所に申請し受理された。負債額は約4336億円。また、責任の明確化のために、代表取締役社長執行役員の清川昭と創業家出身で代表取締役副社長執行役員の武井健晃は退任。DIP型の会社更生手続きを採用し、同社出身の吉田純一が代表取締役社長に就任した。そのことで、東証は整理銘柄に指定し、東証1部を同年10月29日付で上場廃止することが決まった |
2010年(平成22年) | 11月12日 | ロンドン証券取引所から上場廃止 |
2011年(平成23年) | 12月5日 | 旧経営陣が元利用者に55億円の賠償を求め提訴された |
2012年(平成24年) | 3月1日 | Jトラスト子会社のロプロに事業譲渡。同時に事業譲渡後の旧法人はTFK株式会社に商号変更し、会社更生手続きや弁済手続きに専念する |
2017年(平成29年) | 3月17日 | 更生手続終了に伴い、TFK株式会社は清算されて法人格が消滅 |
上記の表は抜粋した物です。詳しくは下記リンクを参照してください。
【参照ページ】武富士(Wikipedia)
武富士は団地を中心とした金融業からのし上がった企業です。90年代に入ってからはCMに大量の芸能人を起用したり、レースのスポンサーに名乗りあげたりして、「サラ金」にあった悪いイメージを払拭するのに成功し、業界最大手の地位を獲得しました。
上記の表を見ても、90年代に入ってから加速したように伸びていき、東証やロンドン証券取引所に上場するなど一流企業の仲間入りを果たしました(当時の武富士の証券コードは「8564」だった)。しかし、2009年を境に勢いは失速していき、上場廃止、会社更生等を経て現在に至ります。
創業者の評価は高い
波乱万丈な歩みをしてきた武富士は、1968年に前身にあたる「富士商事」を立ち上げた武井保雄が一代で築き上げました。敗戦を経て職業を転々としていた武井は、公営住宅の主婦を相手にした団地金融を始めると才覚を発揮し、2003年に会長職を辞任するまでの間、武富士の発展に努めてきました。
武富士という企業の体質に賛否両論ある中で、創業者・武井保雄への評価は高いです。
一方で同族経営によるリスクがあった
しかし、武井は同族経営にこだわっており、長男を専務に、次男を副社長に指名しており会社のトップを同族で固めていました。この方針や体質はマスコミから批判されることがたびたびあり、その度に名誉毀損の裁判を行っては敗訴するというケースが複数あります。
また、武井保雄死後の武富士の凋落を見ると、同族経営にすべきでは無かったという意見も少なくありません。
武富士の経営実態
武井保雄が一代で築いた武富士は、トップを一族で固めた同族経営でした。どうして業界最大手の規模にまで成長した武富士が、同族経営に固執したのかに迫ります。
一族によってトップは固められていた
2003年に会長を辞任する際、武井保雄には3人の子供と妻の武井博子がいました。長男は武富士の元専務、次男は副社長とトップに近い位置に就いており、武井博子を含めて武富士の株を多数保有している大株主でもありました。
流石に内外からの批判を受けて外部から社長を招いたり、創業者一族の株を売買するなどの健全さをアピールしようとしましたが、結局創業者一族が経営の実質的な権利を手放しませんでした。
銀行と提携していない
大手企業になれば銀行と提携するのが一般的です。有事の際には資金繰りの当てにもなりますし、銀行がついているというのは社会的にも信頼されるステータスになります。実際に、プロミスは三井住友、レイクはSBI新生銀行と提携しています。
しかし、武富士は銀行と提携することはありませんでした。もしもどこかの銀行と提携していれば、会社更生手続きや倒産といった目に合わなかったかもしれません。
銀行と提携しなかった理由は明確になっていませんが、主な理由として挙げられるのは武富士が同族経営にこだわったからだと言われています。銀行側にしてみれば、武富士の融資マニュアルなどは魅力的でしたが、同族経営に固執しブラックな運営方針を続けていて金融庁とトラブルを繰り返していた武富士と組むのはリスクが高いと判断されてしまいます。
また、武富士側も同族経営に固執し、よそ者を拒んでいたのではと推測されます。それだけ創業者は血族を大切にしていたといえます。
裁判で経営陣の怠慢が指摘される
ブラックな経営方針を掲げていた武富士ですが、2015年に行われた裁判ではグレーゾーン金利である事を利用者に伝えることを忘れていたとして次男の副社長が賠償金の支払いを命じられました。
これまでにもたびたび批判されてきた同族経営の体質は、最近になっても何ら改善されていなかった事になります。
武富士が関連する事件やスキャンダル
裁判ですら指摘された経営陣の怠慢な体質は、多くのトラブルを生みだしています。今回は武富士が過去に起こした事件の中でも、特に有名なものをまとめてみました。
ジャーナリスト宅盗聴事件
当時、マスコミから批判を浴びていた武富士は、武富士に批判的なジャーナリスト宅に盗聴を仕掛けようとしました。探偵社に依頼して行われようとした盗聴計画は発覚し、実行役の社員の口から創業者の武井保雄に指示を受けたという供述が出た事で逮捕。会長職を辞任するまでのスキャンダルに発展しました。
2000億円の還付問題
創業者の武井保雄から長男の元専務に対して約1600億円の資産が生前贈与されていました。東京国税局から申請漏れを指摘され、裁判に発展しました。当時、長男は生活の場を香港に移していたため、海外居住者への財産贈与は非課税になると主張。結局、その主張は最高裁で認められ、長男は納付済み1600億円のみならず、還付加算金約400億円を加算して、合計で2000億円を国が還付する事になったのです。
今なお残る武富士の過払い金問題
2006年にグレーゾーン金利に関する法改正が始まると、武富士にも大きな影響を与えました。過払い金返還請求によって、次々と消費者金融業者が廃業していく中、武富士も2010年に会社更生法を申請し、倒産する事になりました。しかし、武富士の過払い金問題はいまだに解決していません。
過払い金の時効は10年
過払い金にも時効があります。法律では最後に取引をした日から10年以内なら、過払い金の請求ができます。この「最後に取引した」というのは返済が終わったことを指す為、現在返済期間中の方や支払いを終えてから10年以内の人も過払い金の請求ができるのです。
武富士は会社更生法を適用したのちに、債券を別会社に譲渡しています。武富士が倒産したからと言って返済義務が無くなった訳ではありません。そのため、2006年のグレーゾーン金利の時代に武富士からお金を借りていた人は、2つのパターンがあります。
武富士に借入がまだ残っている場合
武富士が所有していた債権は幾つかの会社や日本保証に譲渡されています。譲渡された債権を保有する管財人から通知が届き、月々返済する形になりますが、グレーゾーン金利時代にお金を借りていた場合は引き直し計算が行われます。
引き直し計算とは
引き直し計算は、これまで返済していたお金からグレーゾーン金利の分を引いて、本来の返済金を導き出す計算です。この計算をする事で借金が完済されたり、余分に支払っていた額が返済されたりします。
武富士はグレーゾーン金利で借りている利用者に対して、グレーゾーン金利だったことを通達する義務を怠っていたと裁判で指摘されています。もしかすると、自分もそうかもしれないと心当たりがあるなら確認をとってみましょう。
武富士に過払い金がある場合
借金を完済していても10年以内なら過払い金請求が可能です。計算したところ、過払い請求があると分かれば普通の消費者金融業者が相手なら過払い金請求が可能です。しかし、武富士の場合は非常に難しいです。
現在では武富士に対して過払い金請求は難しい
会社更生法を申請した事によって武富士の過払い金請求は、会社更生法が行われている内にしか請求できなくなりました。平成23年2月28日に債権届け提出書の受付は終了しており、平成24年に過払い金の返還が行われましたが、最終弁済額は約0.9%と非常に低い額です。仮に100万円の過払い金があったとしたら、戻ってくるのは9千円だけという計算です。
あまりにも低い弁済額ですが、武富士は2017年に会社更生法を終了して法人格を消失しました。事実上の消滅であり、武富士の過払い金に関するコールセンターも閉鎖されてしまい、過払い金に関する請求は不可能になったのです。
弁済額に納得できない場合は、創業者一族に対して損害賠償請求を行う事もできなくはないが、弁護士や司法書士が断わってしまうケースが多いです。結果として、武富士は過払い金をきちんと支払わずに、消費者金融業から姿を消したのです。
武富士の関連会社一覧
企業名 | 武富士との関係 |
---|---|
A&Pフィナンシャル社(「ラッシュ・アンド・キャッシュ」のブランドを運営) | 韓国消費者金融業者で、武富士のスポンサーを務めていた。 |
株式会社日本保証(旧社名:株式会社日栄、株式会社ロプロ) | 武富士の金融事業を承継 |
TFK株式会社(2017年(平成29年) 3月17日 – 更生手続終了に伴い、TFK株式会社は清算されて法人格が消滅) | 武富士の更生会社 |
株式会社武富士キャピトル | 外国銀行等から資金を調達し、武富士に融資を行うことを目的に設立された特別目的会社 |
株式会社テイクワン | ゴルフ場の経営を行っており、余剰資金を武富士に融資 |
株式会社ティデーエス | 所有不動産の有効活用を図るため、不動産の開発、管理、賃貸を行っていた |
TSR CO.,LTD. | アイルランド共和国に設立した再保険会社であり、武富士のお客様の失業救済保険制度の再保険を行っていた |
G.HINVESTMENT CO.,LTD. | 香港に設立したベンチャーキャピタルであり、アジア諸国のベンチャー企業等への投資を行っていた |
株式会社テーダブルジェー | 国内外のベンチャー企業等への投資を行っていた |
TWJ EURO CO.,LTD. | イギリスに設立したベンチャーキャピタルであり、ヨーロッパ諸国のベンチャー企業等への投資を行う予定 |
TWJ VC CO.,LTD. | 米国に設立したベンチャーキャピタルであり、米国のベンチャー企業等への投資を行う予定 |
共立エステート株式会社 | 共立エステート株式会社は、株式会社テイクワンの100%子会社 |
表は武富士と関連していた国内外の企業をピックアップしたものになります。消費者金融業だけでなく、他業種とも関わりのあった事を考えると、やはり武富士は業界最大手の企業だったといえます。
武富士とは消費者金融を象徴する大企業だった
以上が武富士という企業の歴史や経営体質などになります。消費者金融業が最も勢いづいていた時代に頂点を極めた一方で、無理な経営方針を重ねたツケを払い倒産し、過払い金に関する問題で泣き寝入りするしかない利用者が大勢います。
現在の消費者金融業は、法改正が行われ金融庁の厳しいチェックも入り武富士のような会社は存在しません。しかし、武富士のように法の隙間を突いて、急成長を遂げる企業は現れるかもしれません。今回の記事を読んで、武富士のような企業とは関わらないようにしましょう。
※記載されている内容は2024年9月現在のものです。